「幼い頃の夢」 垣花  厳志

このお題をいただくまでほとんど幼い頃の夢を思い出すこともなく生きて参りました。

私の幼い頃の夢、それは漫画家でした。
看板屋を営んでいた父親の影響もあり幼い頃から絵を描くのが好きでしたし、
漫画を読ませてもらえなかったという家庭環境でしたので、
隠れて読む漫画や友達の家で読む漫画の楽しさを知り、
自分も人を楽しませるものを描きたいと漫画家に憧れていたのだと思います。

小学校1年生の時でしたか、父親に「俺は漫画家になる!」と宣言したところ
即答で「ダメだ!」と言われました。
また、「看板屋」になることも禁止でした。

理由としてはどちらも苦労するという事でした。
親心で言ってくれたのだと思いますが、今、親の立場に立ってみるともう少し子供の夢を
応援してくれてもよかったのではと思っています。

 

それでも絵を描くことは好きだったので趣味でずっと書き続けていましたし、
成人してからもスケッチブックを持ち歩き、思うままに描いておりましたが、
22歳の時、Illustratorと出会ってから趣味で絵を描くこともなくなり、
グラフィックデザインに魅了されていきました。

その後、家業を継いで欲しいとの打診があり、実家の看板屋を継承させて頂きました。
現在でも看板を考えている時、作っている時の楽しさは変わらないですし、
今では私の天職だと思っています。

 

看板屋を始めた当時、他店より目立つ看板ばかりを提案していた私は
SDAに入会させていただきサインデザインを学んでいく上で街の景観維持、向上や
看板の役割等を考えるようになりました。

まだまだ未熟者ではありますが、これからも「サイン」の本質を学び、追求し続け、
看板・サインを通して地域貢献できる看板屋を目指していきたいと考えています。

 

この島(宮古島)に生まれ育って来たことに感謝し、地域の景観を守れるようなモノづくり、
そして幼い頃の夢とは違う形ではありますが多くの人に喜ばれるモノづくりに精進して参ります。

 

また、看板屋になりたい、サインデザイナーになりたいと思ってもらえるような会社づくり、
モノづくり、業界の地位向上についても注力していきたいです。

今は漫画家になりたいとは思っていませんが、またいつか若い頃の気持ちを思い出しながら趣味で絵を描きたいです。

 

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