「幼い頃の夢」 佐藤 伸矢

「幼い頃の夢」は、野球(カープ)の選手になることでした。
保育園卒園時の記念冊子にも、将来の夢としてそう記しています。
時代は昭和50年、カープが初優勝を果たした年です。

当時はステテコ姿のおじさんたちが近所のあちこちに立ち、カープのナイター中継を聞きながら夕涼みをしてい ました。
父も夕方になるとソニーの小型ラジオを外に持ち出し、ラジオの実況に一喜一憂しながら家の
前の自販機(酒屋をやっていました)の補充作業をガチャガチャとやっていました。
小型ラジオから流れるAM放送特有の、割れがちでこもった音が薄暮の町に響いていましたが、それは幼少期の我が町の原風景として今も心に残っています。

そして忘れもしない小学3年生の夏、広島市民球場でのオールスター戦。
カープのギャレット選手が1試合で3 本のホームランを放ちMVPに選出されました。
大型テレビが景品として贈賞されるさまをTV中継で観覧しながら、「おーっ、ギャレット凄い!!俺もオールスターで3ホーマー打って大型TVもらうぞ」と、子供ながらに大興奮したことを覚えています。夢MAX…。

その後、その夢は、地元の進学校に入学することにすり替わり、そして大学受験へ。
偏差値で大学選びをする空 気に身を置きながら、ぼんやりと工学部の機械系に進学かなぁと大学探しをしていた折り、工業デザインという分野の学科があることを発見しました。これは面白そうだ! 何になるのかという具体な夢は定まらぬものの、面白そうだという感覚だけでモノづくりに関わるデザインの世 界へと足を踏み入れました。そして今に至っています。

幼い頃の夢は野球の選手でしたが、好きなものの対象としては、乗り物全般やアニメに登場するメカっぽいモノ が常につきまとっていました。小さい頃から絵を描くことや工作も好きでしたので、モノづくりの世界を志向す ることは、自然な成り行きだったのかもしれません。

工業デザインを入口としてデザインの世界に入りましたが、社会人になって早々に地元広島でのサイン案件に携 わる機会に恵まれました。この時に、空間とグラフィックを介して、見る人にどういう心理・認識を促すかとい う、デザインの効果を大いに発揮するサインデザインの世界に非常に面白さを感じました。

思い返せば、記憶にある「サイン」との最初の縁は幼少期に手に入れた水沼選手(カープ)のサイン色紙でした。 意味は少々異なりますが、今は用の美としてのサインをデザインする仕事に就いています。つながっているのか、 つながっていないのか…。「サイン」というカタカナの言葉の意味の幅広さをつくづく感じる次第です。

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