三輪 昌博

 

 

 

 

 

 

 

 

 

子供の頃の夢

 

2018年暮れ、2025年大阪万博の開催が決定した。

 前回の1970年大阪万博は、新入学生だったと思う。子供ながらに「万博ステッカー」を友達とこぞって集めていたことを思い出す。エキセントリックな「太陽の塔」、未来の交通を彷彿させる「モノレール」「電気自動車」、月の光として見るものから現存する「月の石」、想像を絶する華やかさ、近未来的な展示館、見たことのないほど賑わうEXPO会場をテレビ越しに見たことを良く覚えている。当時の釧路の道路はまだまだ砂利道があり、水揚げトラックは至るところに魚を道に落として走っていた。車もまだ少なく、時には馬車すら歩いていた風景である。そのような環境から、万博には良くわからないながらも羨望の思いでワクワクした。その前年の園児の時に、家族で東京へ飛行機(YS11)に乗って旅行した。初めて乗る飛行機と、スチュワーデスの機内サービスに驚いたが、さらにサンドイッチとミルクティーの味は未だに忘れられないほど感動したものだ。そこで万博を直に見てみたいとねだってみたが、親に一蹴され、叶わなかった。

 小6の時に、沖縄海洋博が行われた。海上建築(アクアポリス)、大型水槽の水族館、これにも大変興味を持ち、ぜひ行って見てみたいと思ってはみたが、夏は真っ黒な野球少年、冬は氷都に住む少年らしくアイスホッケーに無我夢中でそれどころではなかった。

 このように、少年時代は「科学」「技術」「進歩」「未来」「宇宙」ということに強く共鳴していた。それで学研の「科学と学習」の定期購読を母にお願いした。この時はすんなり許された。また、「釧路市青少年科学館」に行くのも大好きであった。「テレビ電話」「リニアモーター」「原子力」等々の展示は楽しかった。その頃は、イケイケの日本だったからであろう、「将来は、水素エネルギーで空飛ぶ車をつくる科学者になりたい!」と、まだ自分の素性を知らない純真無垢な少年であった。

 高校生になると、数学に苦手意識を持つようになった。その時分「商社」系のドラマを見て、ビジネスマンはカッコイイと感じはじめた途端、夢見る少年から、現実主義の大人へ意識変容していた。

 今では、強烈な印象の「太陽の塔」のような「シンボル」、あの華やかなEXPO演出、各国の展示装飾にあるような「サイン・ディスプレイ」を生業としている。

子供の頃の夢が、つながって良かった!

Posted in: