「幼い頃の夢」 山田 貴史 

 

 

「幼い頃の夢」は運転士になることでした。

幼稚園の時は新幹線の運転士、小学校では飛行機からスペースシャトルの運転士というふうに、知識が増えるごとに乗り物は変わっていきましたが、なにかを運転するという夢を持っていました。

いまではとくに車の運転が好きなわけでもなく、SDA九州地区の交流会でよく車のデザイン談義になりますが、それにもあまり興味が湧かず、改めて考えるとどうしてこんな夢をもっていたのだろうと不思議です。

キッカケとして思い当たるのは、父親が鉄道会社に勤めていたので、小さい頃は「父は新幹線の運転士なんだ」と思っていたことです。鉄道の仕事もいろいろあるなんてことは全く思いつかず、父親に聞いてみたこともないほど思い込んでいました。

おそらく私は勝手な思い込みと父への興味から「運転士」に憧れていたのだと思います。

実際には、父は当時土木作業員で、マッチョな超体育会系な性格でした。殴られたことはありませんが、子どもながらに「あの太い腕で殴られたらタダではすまないな」と思っていました。

その後の夢は高校、大学と進むうちにデザイナーになるというものに変わり、無事に仕事につくことができましたが、父にはどれだけ仕事内容を話しても、どうもピンときてない様子でした。

私は最初の仕事が地下鉄のサイン計画だったこともあり、その後も縁があって鉄道関係のサインを多くデザインさせていただいています。

そして、ついに父の会社と仕事をするという機会が訪れました。父はすでに現場仕事からデスクワークに変わっていましたが、大きな会社なので仕事で顔を合わせるということもなく進んでいきました。実家に帰ったときに父に仕事をしていることを伝えると、それ以降「あれを作ったのはお前か」などと連絡がくるようになりました。デザイナーの仕事が少し伝わり、興味を持ってもらえたことは単純に嬉しかったです。

運転士の夢は叶いませんでしたが、デザイナーとして鉄道系の仕事に関われたことは少し夢に近づけた気持ちになります。

今後はさらに飛行機と宇宙関係のサイン計画にもチャレンジするということを、これからの夢として頑張りたいと思います。

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