現在函館が、私の営業の拠点です。
しかし、生まれた場所は、ここから車で2時間余りの、現在、せたな町です。
せたな町は平成の大合併で大成町、北桧山町、瀬棚町が合併して生まれた町です。
私の涙の物語はたくさんありますが、ここでは故郷の話です。
令和元年5月、私の母は亡くなりました。
その15年前、父も亡くなっています。
私は3人兄弟の長男のため、両親の残した3丁5反の土地を引き継ぐことになりました。
両親はこの面積では食べるにも事欠くことがわかっていたので、子供たちを中学校卒業とともに、家から社会へと手放しました。その当時、どこでもある、金の卵ともてはやされた時代のことです。
私は、母の姉家族が函館にいたため、毎月米1俵を送る約束で、下宿させていただけることになり、函館の商業高校に通わせてもらうことになりました。そのせいで、一つ違いの弟や三つ離れた妹は本州へと集団就職です。
本当に貧乏な時代でした。しかし私は、両親が農家のおかげで、お金は全然なかったが、食べることには窮することなく、絵が得意で、夢を追いかける、思春期を過ごしました。
涙の物語は、実家にあった航空写真です。
20余年位前、田舎の各家々に航空写真の営業がやってきました。
平山家では注文しなかったのですが、隣の家にその写真が飾ってあるのを発見し、頼んで借りることができました。
隣とは直線で200m位離れています。その写真をスキャナーし、母に贈りました。
その写真には実家が写っていました。少し小さく写っていましたが、大きく拡大すると、くっきり見えるようになりました。
航空写真であるため、高いアングルからの撮影で、外には布団や洗濯物が干してありました。
今の私に近い母と、私よりちょっとお兄さんの年頃の、父の生活がそこにありました。
今でも両親が玄関先から出てくる様子に、私は空から“父さん、母さん”と声をかけているようでした。
昨年秋、引き継いだ実家に行き、その写真を見て、今まで以上の感情がこみ上げてきました。
今は、先祖が開拓したその土地を残す決意です。
今後、農家にも着手し、土地の有効活用を探っています。
できれば、先祖が生きたこの土地で、我が人生を終わらせることができれば幸いです。