「幼い頃の夢」 林 義雄  

生を受けた時すでに商売をしていた祖父と父の背中を見て育った私は、その三代目を継ぐ宿命を背負っていることに何の疑いも持たず、幼少期を過ごした。
周りから何になりたいか、と聞かれれば、そのころ人気の初代若乃花にあこがれていて、腕っぷしが強くもないのに「相撲取りになりたい」くらいの淡く無謀な「夢」を持っていたという記憶しかない。

「家業を継ぐこと」が当たり前の環境の中で、具体的に「夢」を持てなかった私は、3代目を継ぐことを前提に、浪人までして大学の「経済学部」に合格する日まで、その宿命の枷を外せずにいたのだ。

十代前半で父親を亡くした祖父は、若くして家族を支えるために働き、同様に十代前半で母親を亡くした私の父は、祖父の仕事を手伝い、家業を継ぎ経営の道を歩むことになる。
父は音楽の才があり、本人もその道を究めたいと願ったに違いないが、頑固な祖父は、自分の商売を継がせるため、進学したい父に商業学校に行くことしか許さなかった。
そんな父は、私が大学に合格すると心から喜んでくれた。
しかし、時を同じくして、当たり前と思われた私の「三代目」は、皮肉にも、まさに「夢」となる。私の進学が決まったほぼ同時期に、そのころ地域一番店にまで成長した祖父と父の商売は、時代の流れの中で大きなスーパーチェーンとの合併により、見事に私の中で消滅した。

「三代目」の縛りから解き放たれた自由な私は、「夢」を初めから持ち合わせていなかったこともあり、これからどうやって生きていこうか、と悶々とする日が続くことになる。

ことの経過としては、なるほど残酷な話ではあったが、よく考えてみれば、「何をしてもよい」のだ。
これほど明るい未来はないのかもしれない。
ほとんど見た記憶もない「夢」はいまさら思いもつかず、根拠のない「希望」だけが独り歩きを始める。

時代は政治の大きな変化の中にあり、私は自分が自分であるための(?)行動に身を置いて凝縮された時間の中を、しかし自分を見失いかけながら突き進む。といった態。
いわば、手探り状態の無謀な学生運動。そんな中でも、自分の好きなことはする、といったしたたかさは持ち合わせていた。
それは、学生運動の必須アイテム、いわゆる「タテカン」を自分の手で描いて過ごす、至極の日々。
誰より美しく、しかも力強いタテカンを描きたい。

そんなある日、大学の先輩が私の手元を見つめながら「おまえ、看板屋になれば?」

なにバカなこと言ってんだ、と思いつつ、実はそれが悪魔のささやきだった、と気づいたのはそれから2年後のこと。

幼い頃、「夢」は持てなかったけれど、二十歳を過ぎて、「好きなことをして生きていこう」と、はじめて「夢」らしきものを手に入れたようだ。
遅咲きの「夢」を抱えて、わがままな人生が、まだ続いている。

 

 

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