最近、やけに涙もろくなっているお年頃です。
映画のワンシーン、美しい夕焼け、花々の開花、オープン立会い、誰かの涙につられて涙、「初めてのおつかい!」等…、色々なシーンでほろりとしてしまいます。ですが、この記事を書きながら気づいてしまいました。最近ほぼ「悔しい涙」は流していないなと。物事に執着心が無くなっているな。。。「一生青春」を取り戻さねば!
そんな中、最近心に残った涙エピソードは、昨年東日本を襲った台風19号でボランティア活動に参加した時の出来事です。
休日を利用しての作業だったので胸を張って言える程、役に立つ事は出来ませんでしたが、その時にお手伝いをさせて頂いた一人暮らしのおばあちゃん宅での出来事です。
そのおばあちゃん、年齢はお聞きしませんでしたがおそらく80歳くらい。
氾濫した河川のすぐ側、大きなお庭付きの2階建てのお宅にお住いです。1階天井までの浸水でした。
氾濫当日は、近所の方からの声掛けで何とか浸水前に避難され、ご無事だったとの事です。
お手伝いさせて頂いたのは、高校生2人と私を含めた大人4人の計6名。
2班に別れ、お家の隅々まで入り込んだ泥のかき出し作業と、広いお庭に散乱してしまった大量の植木鉢や、どこから流されて来たのかわからない自転車などの撤収作業です。
植木鉢の数から、毎日手入れをされ、草木が育つのを楽しまれていたのが目に浮かびます。
作業を始めしばらくすると、おばあちゃんから「探して欲しい物があんだけど」と声を掛けられました。
亡くなったおじいちゃんから最後にプレゼントしてもらった「高枝切り鋏」が何処を探しても見つからないそうです。
長ものだから絶対見つかるはずだし、見つける!と意気込んで庭の隅々から隣のお宅と広範囲に探しましたが、見つける事は出来ませんでした。おばあちゃんに「ごめん。見つからなかった。」と告げると「どこいっちまったんだべ。」と、一瞬肩を落とされましたが、直ぐに「ありがと!」と笑顔を見せてくれました。
続けておばあちゃんは「鋏があったら、あんたらにウチの柿を食べさせたかったんだ。凄く甘くてうまいんだよ。」と、泥だらけの庭の隅っこにある柿の木を指差しました。
じき旬を終える柿の木には、5.6粒ほどの綺麗なオレンジ色の実が残っていました。
数日前の平和な日常のまま、そこだけ時が止まっているように見えました。
それを見た時、何とも言えない色んな感情が込み上げました。
当事者でない私に、おばあちゃんの心境はわかりませんが、これまで培って来た日常が無くなり、先が見えない状況の中、鋏を探して欲しかった理由が自分達にお礼を振る舞う為だったとは。
作業が終わり別れ際、ずっと笑顔だったおばあちゃんが涙を浮かべ「ありがとね!ありがとね!」と私達が見えなくなるまで手を振り続け見送ってくれました。
あの時の柿の木が、自分の中に焼き付いています。
自分がおばあちゃんの立場だったら、そんな気持ちになれるのだろうか…
どんな状況であっても、人を気遣えるような人生を歩んでいきたいと思います。