第54回日本サインデザイン特別賞

北山廣司氏の鉄道駅におけるサインシステムのプロデュース及び、公共サインと一体的に捉えた広告媒体の開発など、サインデザインの新機軸を築いた功績に対して

特別賞受賞理由

北山廣司氏はSDAの母体となった関西ネオンデザイナークラブ(1955年)にて活躍され、 今日のサインデザイン協会を築き上げた1人である。1970 年代、当時の国鉄や私鉄、鉄道各社が駅設備の近代化を進めるなか、 北山氏は阪神梅田駅において広告媒体と一体となった旅客案内サイン導入を業界各社の共同事業として統括、さらに、営団地下鉄の国内初となる旅客案内サインマニュアルの実現に貢献。鉄道駅における旅客案内表示を“サインシステム"という事業としてプロデュースしてきた。こうしたサイン業界における長年の功績を評価するものである。


  • このたびは私の鉄道駅におけるサインシステムのプロデュース及び、公共サインと一体的にとらえた広告媒体の開発などサインデザインの新機軸を築いた功績に対して、日本サインデザイン特別賞を賜りまことに有り難う御座います。 1970年当時高度経済成長の真っ只中のターミナル駅は貼り付けれるスペースがあればどこもかしこも広告だらけで、案内サインも張り紙ばかりで、雑然としていました。そんな中、大阪万博の開催に合わせて、阪神梅田駅改修のプロデュースが依頼され、商業広告を思い切って撤去しナショナルスポンサーを中心に精査した、おそらく日本で初めての蛍光灯入り大型電照広告枠を駅壁面に取付け、富士フイルムが販売し始めたカラーコルトン写真を用いた広告枠を開発しました。そして、歩行者と対面する場所は乗車案内や時刻表、時計などの公共サインに限定し、駅をそれまでの雑然とした場所から、地下でありながら明るく美しい場所に蘇らせることに成功しました。 その阪神電鉄梅田駅が評判となり営団地下鉄(現東京メトロ)総裁が視察に来られ、この設計をしたのは誰かと尋ねられ、阪神電鉄様より紹介をいただきました。営団地下鉄も雑然としており、特に乗り換え駅ではどのように乗換えればいいのか苦情が絶えず、是非改善してほしいとのことで、デザインの委嘱状を総裁より賜り、大手町駅をかわきりに今でも採用されているラインカラー、出入口のアルファベット数字表記などを発案しました。 約50年前のことですが今でも昨日のことのように感じられ、今でも駅を利用する方々のお役に立てて何よりです。さらに今回の特別賞受賞、サインデザイナーの皆様に評価いただき大変有り難う御座います。皆様のご活躍により今後益々業界の発展をお祈り申し上げます。

    北山 廣司




北山 廣司 Kitayama, Hiroshi
日本サイン株式会社 元代表取締役会長
1932年生まれ。1949年ファッションデザイナーを目指し上京、稲葉藤次郎先生の門下生となる。1951年、突然大阪に呼び戻され株式会社星光に入社、交通広告タイアップ時代を確立した。 1970年に阪神電車梅田駅ターミナルにおけるサインシステムを提案、その後1973年東京都営団地下鉄において「緑は入口、黄色は出口」をテーマにメトロサインシステムをプロデュースする。1965年SDA設立にも寄与し副会長・理事長を歴任した。1975年に日本サイン株式会社を設立、業界の発展にも尽力し2001年藍綬褒章を授与された。